歴史と創作が好きな管理人のゆるいブログです。
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私古今東西の知識ありますけどアピールが激しいと話題の 北畠親房著『神皇正統記』を読んでいます。親房自身、歴史や有職故実にも通じており教養のある人物だとは思うのですが、しょっぱなの「倭国の女王遣使て来朝す」と後漢書に見えたり。(『後漢書』には倭国の女王(=卑弥呼か?)が使者を使わせて(魏に)来朝した、と書かれている)の部分で「親房くらいの教養人でもミスとかするんだ」と勝手に親近感がわいてしまいました笑
※実際に倭国の女王が魏に遣いを出したことが記載されているのは『三国志』の中の「魏志倭人伝」
以下、ややBがLな話題なので折りたたんでおきます笑笑
+ + + + + + + + + +
ところで、親房の『神皇正統記』には後醍醐帝と尊氏の関係についてかな~~~りアヤシイ記述があるのをご存知でしょうか。まずは下記をご覧ください。
「抑彼高氏御方にまゐりし其功は誠にしかるべし。すゞろに寵幸ありて……」
……。
寵幸!!??
一瞬自分の妄想がもたらした幻覚かと思いましたが、しっかりと寵幸と書いてあるんですよね。後醍醐帝が尊氏を寵幸していたと。念のため辞書で「寵幸」をひきます。
ちょう こう -かう [0] 【寵▼幸】
特別にかわいがられること。寵愛をうけること。
寵幸や寵愛には目上の者が目下の物を贔屓に可愛がる、という意味があるので邪な目で見るのは早計ではあるのですが、重用ではなく寵幸ね……フーン……
で 終 わ ら せ ら れ ま せ ん よ ! !
現代語訳にするなら「そもそも、高氏(尊氏)が元弘の乱において挙げた功績は誠に見事なものであったであろう。しかし、後醍醐帝は度を越えた御寵愛をなさり……」といったところでしょうか。おそらく事の異常性を大袈裟に誇張して書いただけだとは思いますが、これは妄想が捗ってしまいますね。寵愛ですよ、寵愛。尊氏が帝に異常なまでの執着心を見せていたのも、二人がただならぬ関係だったと考えれば、すんなり納得できます。そうであってくれ。
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