以前、尊氏の和歌について少し触れたので次は直義の和歌を紹介します。題詠であったり、詠進用の百首歌であったりするものの、直義の為人が垣間見えるようで楽しいです。
何かと精神的不安定な部分を指摘されがちな尊氏とは違い、直義は清廉潔白な一本気な男だと解釈されている直義ですが、彼の詠んだ和歌を見てみると、兄尊氏と比べても劣らないくらい病んでるじゃねぇか…と不安になります。尊氏のメンタルだけでなく、直義のメンタルもなかなかに不安定なんです。不安定兄弟。やはり根本的な部分は似ているのでしょうか。
気を取り直して、まずは『風雅集』の一首。
『風雅和歌集』雑歌下・一七九九
述懐の歌の中に 左兵衛督直義
しづかなるよはの寝覚に世中の人のうれへをおもふくるしさ
…暗い。
直義の和歌暗い!尊氏の和歌も暗いけど、直義も暗いぞ!!現代語訳にするなら、静かな夜に目が覚めると、世の中の人々の惨状を憂いては心が苦しくなることだ、でしょうか。為政者の悩みと苦悩がありありと伝わってきますね。しかし、メンタル相当やられてるぞ直義……
同歌集には光厳院(支持している朝廷)をヨイショする直義の和歌も見られます。
『風雅和歌集』雑歌下・一八一九
百首歌たてまつりし時 左兵衛督直義
たかき山ふかき海にもまさるらしわが身にうくるきみがめぐみは
『風雅和歌集』は光厳院親撰の勅撰集なので、光厳院を正統とする直義がヨイショする和歌を詠むのは当然といえば当然なのですが、かなりオーバーリアクションですよね。そんなところも可愛いぞ、直義。現代語訳するなら、光厳院が我々に与えてくれる御慈悲は聳え立つ山々よりも高く、底深き大海よりも深いものに違いないといった感じでしょうか。
話が逸れたので、直義の仄暗い和歌の話に戻ります。次は『新千載』に入集している一首です。
『新千載和歌集』雑歌中・二〇〇三
うきながら人のためぞと思はずは何を世にふるなぐさめにせん
これもまた暗い。秋の夜長に一人悶々と頭を抱えている姿がありありと想像できる和歌です。訳は、この世の中は何事も憂鬱ではあるが、己の苦しみが人の為になるのだと思わなければ、何を生きて行く上での慰めにできるだろうか、という感じでしょうか。自分の行動が正しいのか、間違っているのか、本当に世の人々の為になっているのだろうか、と悩んでいる様子が浮かんできます。みんな、尊氏のメンタルだけではなく、直義のメンタルの心配もしてやってくれ……!と叫びたくなります笑
※独自解釈のトンデモ意訳なので真に受けないでくださいね。